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平松英子 Eiko HIRAMATSU / コンサート情報 イムジカ imusika

平松英子 ひらまつえいこ

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東も西もない現代的地平---平松英子のマーラー「大地の歌」  伊東信宏

 マーラーの「大地の歌」は、よく知られるように、孟浩然など中国の詩人たちの作品を独訳したベートゲの詩集に基づく声楽付きの交響曲である。今回取り上げられたピアノ伴奏版は、1989年になって東京で初演された。楽譜には「高声と中声のために」という指示があるが、この演奏会は平松英子が全曲を一人で歌うという試み。ピアノは平島誠也(20日、東京・王子ホール)。
 演奏会前半は、やはりマーラーの歌曲から4曲。ここでも平松の端正で立体的な歌唱はすでに十分魅力的だったが、焦点はやはり後半の「大地の歌」だろう。
 この作品は、特に第3曲「陶製の円亭」など、いかにも「中国風」の響きがすることから、典型的な「オリエンタリズム」的作品、つまり東洋の事物をあくまで彩りとしてヨーロッパの文脈に合わせてしまった音楽と見られることも多い。たしかに、オーケストラ版の冒頭、いきなりホルンが咆吼したりするのを聴くと、これでは漢詩もなにもあったものではないという気がする。
 だが、それがピアノ版になると、ずいぶん様子が異なってくる。ここではマーラーが極端に少ない線の絡み合いとして音楽を発想しているのが、随所で聞き取れる。ほとんど一本か二本の寡黙な線、それも片方は二つの音の間を不規則に揺れるだけ、といった非常に限られた手段を使いながら、マーラーはこの中国風の叙情と格闘している。
 平松の声には、高音域で少しくせがあるが、それも決して耳障りではない。そして発音が美しく、言葉として魅力的に響く。息は全てが声帯を震わせるために使われる、というよりはいくらか声にならないで吹き抜ける。それが声にまとわりつく気配として、色々なニュアンスをつくり出す。オーケストラ版なら、こんな贅沢な息の使い方は望みようもないが、ピアノ版ではそういう微妙なニュアンスが活きてくる。
 結果として、我々がいまここにあることの不思議にも触れるような存在論的な地平が開かれてくる。終曲で、死を前にしながら、世界がそれでも花と緑にあふれる、と歌われる場面(これはマーラーが自分で訳詩に付け加えた部分である)の、深く澄んだ集中は、忘れがたい。
 王維など中国詩人やベートゲ、マーラーと、そして平松が絡み合ってつくりだした表現には、もう東洋も西洋もない。とても現代的な成果だ。
(朝日新聞2003年4月30日夕刊より、筆者の許諾を得て転載)

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